土曜日
午前中電子レンジでできるシュークリームをみーちゃんと作ってみた。
シュークリームを作る上でよく聞く唯一の難関「生地が膨らまない」に若干引っかかるも、
一応シュークリームの体は保たれたものが出来たので、まあよしとしよう。
また作ってみようと思う。
午後から水戸芸術館でチェルフィッチュ「ゾウガメのソニックライフ」を観る。
正直数回コックリしてしまったのだけど(みんなに聞いてみたが全員一回はコックリしている!)
その意識が切れた時間も含めて複雑な構造かつ
難しいかと言われればそういう訳でもない、とても面白いお芝居だった。
現代的、というと物凄く陳腐ではありますが、正にそういう感じ。
細かく引き裂かれて、別々の階層に分けられてる、今ぼくたちの見てる風景そのもの、みたいな。
(引き裂かれた同士は「引き裂かれたことを覚えている」ことによって繋がってる)
正確に構造を説明できる訳ではもちろんないんだけど、
ああ、確かに、おれも普段こういう引き裂かれ方してるかもなーって意味ですごい直観的。
この例えも物凄く陳腐だけどリンチの「インランドエンパイア」が超身近になった感じ、違うか。
割と醒めた状態で考えた時気になるのは「結局語ってたのは誰だったのか?」っていう問題で、
あの眼鏡の女の子しか本当は居なかったのかもなー、とか。
まあ、そういうこと考える為の話でもないか、など。
あのちょっぴり安っぽい「定住が日常を生み出す論(受け売り)」とか「あるあるー」なんだけど
「あるある」ネタを「あるある」に落とさないバランス、正にパンフレットに書いてある通りの
「ある方法論を持ちつつも、その方法論をそれ以上『引き寄せないように、それをいつまでも掴んでいないように、すぐに手放すように』心がけるという」
やり方というのが、ある人の思考と風景がそのままそこにあるみたいに、
ずっとどこにも着地しないでくるくる回っているような状態を維持し続ける感じ。
あの「(受け売り)」と「東京観(フェイク)」の後に割とガチっぽい
「等身大の主張」が入ってくるのがかなりミソかなあ。
うーんすごい良い。
あと「ゾウガメのソニックライフ」のタイトルの通り、時間感覚の圧縮と展開
時制が失われた後のもう一個外にある時制?みたいなもんを感じた。
現前と再現前?、曽根さんの展覧会とか藤本由紀夫さんとか、
うーんナデガタのアーカイブ問題とか?何か繋がってる感じはする。
※で、しばらくして自分が書いたここまでの文を思い出してみると
何て都合よく月並みに自分の解る範囲に引き付けて考えてしまっているか、とびっくりする。
よくよく思い出してみれば、もっと本当に謎だった部分もいっぱいあったし、
ここまでを書く間にそういう謎な部分について、どう謎なのかを考えなかった。
結局「共感」をベースにしかものを考えられないのか?頭が悪いのか。それともそれが人の限界か。
ゲルハルトリヒターも「どんなに純粋な抽象を描いても、人は結局何かに例えてしまう」って言ってたよな。
ただ、まあ「謎だった部分を忘れていたことを思い出した」だけマシか。
タンブラーで読んだ、「人間の脳は『何かを忘れていることは確実に覚えている』
メタデータをあらかじめ持っている」なんていう誰かが書いた断片クオートが頭をよぎる。
もう一回観たい。
*
本当にたまたまなんだけど、藤本由紀夫さんと少し話す機会があり
(ほぼ一方的に聞いていただけだけど)
藤本さんがどういうメンタリティを持っている人かというのを僅かながら知ることができた。
話を聞いていて色々違和感もあったので、これを機に極々大雑把にしか知らない日本の電子/現代音楽
からのサウンドアートをもうちょっと知っとくかーという気分になったのでとりあえず図書館で本を借りてきた。
分厚いので2週間で読み終わるか不安だが
エバーノートとユーチューブ等を駆使して頑張ってみようと思う。
まあとりあえず感覚として、何かに対して「終わってる」と言うことや
「最先端」なんていう感性そのものが結構前から失効してるという気はする。
もちろん単に「何でもあり」や「焼き直し」や「無知」を肯定するという意味ではなく。
なんつーか、もっとフレキシブルな時制の制御方ってないのかな?っていう。
まあ、何も言ってないに等しいですが。
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