地震や原発の件と住むことについて考えている。
ところで、みーちゃんと暮らすおれたちのアパートはとんだカオスだ。
主に衣服と布団でごちゃごちゃに散らかっている。
コンビニで「ブルータス」という雑誌の住居特集を見た。
正直に言えば、こういった雑誌に載っているような住居を羨ましいと思う部分もある。
あるが、そういった住居を我々が手に入れたとしても、
雑誌に載っている時点のキレイな状態を維持する自信がない。
おれもみーちゃんも徹底的なカオス主義者だ(そんな言葉があるかどうか知らないが)
あえて異常に前向きに応えればこのカオス主義は
社会という暴力装置へのささやかな抵抗なのだ。
私たちは自由に自分らの生活をデザインできるし、さらに一歩進めば
「デザインする」なんてしゃらくさいことをいつでも止めることだってできるのだ。
とはいえ、何時だったか内田樹さんが言っていた
エントロピーの増大に対して秩序の守護者であることが、すなわち生きるということだ
といった内容の話があって、いやマジその通りだしと思ったもんですけど、
秩序の守護者であること、「自分」であることは単に不可避だし「死ぬこと」は単に悲しい。
野良猫のように非力で野蛮なぼくたちのアパートもどことなく、これも悪くはない、
と心のどこかで思っている。
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