ネコと一緒に暮らし始めた。
元々は私が管理人を務める水戸のキワマリ荘に迷い込んできたネコだ。
諸事情で家で預かることとなった。
名前は「豆」となった。
正確には「豆大名」という。
私はあまり生物を飼育したことがない。
時々、豆が無心で遊ぶ姿の中に、爪や牙の鋭さに、捕食者の性質を見てゾっとしてしまうことがある。
が、誰にでもよく懐くので全く問題はない。
とても愛らしい。
とても愛らしいというだけで食事と住処を与えられるのだから愛らしさとは大変な徳である。
高校生位のときにグリーンイグアナを飼ったことがある。
全く人に懐かず、色々あって最終的に兄によって実家の窓から投げ捨てられた。
くわしくは書かないが、まあ、致し方ない理由かと思う。
実家の前には、野球場二つ分くらいはあろうかという平地があり、その向こうには家が何軒か並んでいる。
兄がイグアナを投げ捨てた次の日、平地の向こうの家に住む初老の夫婦が、二人して家の周りをゆっくりと忍び足で廻っているのが見えた。
夫の方は虫取り網を持っていた。
きっとイグアナは向こうの家まで辿り着いたに違いない。
小学生の頃はうさぎを一羽飼育した。
私はその頃、ベアトリクス・ポターの「ピーターラビット」にはまっていたので、名前は「ピーター」とした。
絵本の通り、ミルクティーのような色をしたうさぎで、鼻の頭には黒く「W」の模様が付いていた。
うさぎというのはいつも一定の速さで鼻を動かしているのはよく知られたことだが、よく耳を澄ましてみると、その鼻の動きに合わせて「ブ、ブ、ブ」と音を出している。
このことはあまり知られていない。
父親が作ってくれた1メートル四方ほどの小屋に入れて、庭で飼育していた。
金網の隙間からバナナやチョコバットという駄菓子を差し込むと、モリモリと良く食べた。
うさぎというのは大きさの割に大量に食物を摂るので、毎日食事を用意するのが大変だった。
わがままを言って飼育させてもらったのは私なので、食物の雑草を取りに、野球場二つ分はあろうかという家の向かいの空き地へ行くのは主に私の仕事だった。 この空き地は昔栗の木の林だった。。
月日は流れ、ピーターはぶくぶくと大きくなったが、ある日、父か母か、兄弟にか、憶えていないが、
ピーターが突然居なくなったことを告げられた。
小屋の中には、ミルクティーの色をした毛が大量に撒き散らされていた。
ネコか、カラスか、イタチか分からないが、何かに襲われ、連れ去られたようだった。
血が流れている訳ではなかったので、襲われる直前に上手く逃げ出して、どこかで生きているかも知れない、ピーターラビットみたいに、などと私は自分に言い聞かせた。
いや、姉か兄が、気を使って私にそう言ってくれたのかも知れない。
本当のところを言うと、ぶくぶくと大きくなった頃のピーターの食物は主に父が与えていて、つまり世話は父がしていて、その頃の私はピーターのことをあまり気に留めていなかった。
だから、とても悲しかったという感じでもなく、ただ何となく、うっすらとした喪失感を残し、ある日突然ピーターは居なくなってしまった。
私はもうすぐ39歳になるが、死んだ人の顔をこの目で見たのはまだ一度だけだ。
母方の祖父が亡くなったのは、私が中学生か、高校1年生位だったように思う。
人の死に顔というのは、全ての筋肉から力が抜けてしまって、生きている時とはまるで別人のようになる。
目の周りは落ち窪み、下顎の骨は有り得ないほど首の方に落ちて、ほら穴のように口がポカンと開いていた。
顔の色は、目の周りがピンクというか紫というか、だけを残し、他は一様に蒼くくすんで黄色い。
映画やドラマで見る死に顔とはまるで違う、生きている人間には絶対に真似できない顔だ。
実のところ私はあまり祖父が好きではなかった。
顔を見たときも、葬儀の間も、悲しいという気持ちはほとんどなく、中学生ながらこれでいいのかと自問自答し、家に帰ってから1人、部屋に篭って無理矢理泣いてみることにした。
意外と大げさに泣けたが、それが演技なのか本当に悲しいのかよく分からなくなって大変気分が悪くなり、すぐに止めた。
父方の両親はもっと前に亡くなったが、彼らは静岡県に住んでいたので、次男の私は葬儀に出席することはなかった。
代表として出席した兄から聞いたところでは、普段あまり感情を表さない父が「親が死ぬってのはやっぱり悲しいものだな」と言って少しだけ涙を見せた、おれはそれを見て少し悲しくなった、確かそんなことを言っていたように思う。
その時の父はおそらく50歳位だったように思う。
私と父は見た目も性格も良く似ている。
最近では5年ほど前に母方の祖母が亡くなった。
介護施設に入っていて、長女である母が主に世話をしていたようだが、祖母が身体を悪くしてからは私はほとんど会っていないので詳しいことは何も分からない。
何も詳しいことが分からない内に祖母は亡くなってしまった。
当時は毎週締め切りに追われる仕事をしていたので、それを言い訳に、通夜にも、葬儀にも出席しなかった。
祖母は本当にいつの間にか居なくなってしまった。
ピーターの時と同じだ。
今でも時々そのことを思い出す。
豆は、松本さんがお医者から聞いたところによると生後3ヶ月位、今は4ヶ月位だ。
ネコの寿命は10年程度だろうか。
その時私は50歳になる。
妻が元気だといい。
