深夜、私は音楽を作っていた。 前の日に朝方までスケートボードをしていた妻は、隣で深い眠りについている。 さっき少し布団にもぐりこんで、いつものように彼女の寝巻きの中に手を入れ、その独特な、弾力のない、もちゃもちゃとした腹に触れてみた。 とても温かく、柔らかい。もちゃもちゃとしている。 寒い日は特にそのように感じる。 こんな時いつも、そこはかとなく不安な気持ちになる。 妻の腹を触った時に限らず、何かしらいいことがあったとき、 うれしい感じがするとき、その気持ちが強いほど、いつもその反対の気持ちが、うっすらと暗い影が、のろのろと同じ大きさになって覆いかぶさってくる。
意識や感情というものは所詮、脳の神経細胞が放つ電気信号の、その火花の、さらに痕跡にすぎない、 といったいわゆる機械論的な見方がある。 これは一般に「科学的」と言われるようなものの見方だろうか。 人の身体の中は鉄を溶かした液体が流れているし、他にも亜鉛や塩、銅など、身体は様々な鉱物の集まりである。らしい。 これも「科学的な知識」だろう。 深い深い地面の下、私には名を知ることも出来ない美しい鉱物が、微細な振動により、人の耳には聴こえない、 冷たく美しい音を立てている、と思ってみる。 無知で目も良く見えず、耳も良くは聞こえない私には到底分からないけど、きっと色々な原因と結果が複雑に影響し合い、その僅かな現れが微細な振動となるのだろう。 鉱物が地下深く、人には聴こえない美しい音をたてている。
しかし、「人には聴こえない」のに「美しい」ということがあるのだろうか。と思う。
人間に聴こえる音は20ヘルツから20000ヘルツまでと言われている。
しかしそれ以下も、それ以上も音は存在する。これも「科学的な知識」だ。
眠る彼女の腹に耳で触れてみると、様々な音が聴こえる。 身体の一部が動いてふとんや衣服と擦れる音、骨がきしむようなぐりぐりする音、などなど。
中でも楽しいのは、胃や腸から出ていると思われる、細かい繰り返しが放物線を描くような音だ。
音が様々な方向に弧を描いて、少々ロマンチック過ぎる言い方ですが、様々な色に弾ける花火がハレーションを起こして、夜空にその跡を残しているみたいだ。 時々大きなイビキの音がして、花火や流れ星はかき消されてしまうけど、いびきの音というのはなんとも可笑しくて、それに、誰かが隣にいるんだということを思い出させてくれます。