私の夢は私自身であり、私の生活、私の世界、他人が自分勝手の理由や目的の為に作った理論的構造とは異なる私の全現実であるという事実である。
それは、フロイトの夢ではなくて、私自身のものなのだ。
私は閃きのように、その夢が何を意味したかを了解した。 上に述べた争いは夢の分析についての重要な点を示している。
それは、学びとられ、規則にしたがって運用されるひとつの技術ではなくて、ふたつの人格のあいだにおける弁証法的対話なのである。
それが、機械的な技術のように取り扱われるならば、夢を見るひと個人の心の人格というものは失われ、治療的な問題は単純な問いかけに還元される。
すなわち、ふたりのうちのどちらが ―― つまり、分析者か被分析者か ―― 他方を支配しているだろうかという事になってしまう。
『C.G.ユング 人間と象徴(上)』