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読んだ本から(2)

水牛や穀物倉や病気はそれ自体で存在するものだから、妖術はそれの存在については責任がない。 しかしながら、それらの原因が、ある特定の個人に対して破壊的な関係に置かれたという特定の状況については妖術に責任がある。 いずれにしても穀物倉は崩れ落ちたであろう。 しかし、ある特定の人間がその陰で休んでいるというある特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。 これら全ての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して変更させることができる。 それは妖術がある一人の人間に発するものだからである。 水牛や穀物倉に対しては干渉の余地がない。 それらも原因と考えられてはいるけれども、社会的関係という面においては無意味である。 『クロード・レヴィ=ストロース 野生の思考』

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