さらにこんなことが考えられるだろう。普通の人間にとって、もっとも強い憧れの的でありながら、同時に完全に現実的な存在となるのは、手の届かない人々である。誰でもイギリスの女王やその妹の大公妃や、アメリカ大統領の元夫人や、有名な映画スターのことを知っている。ということは、つまり、こういった人々の存在を直接(例えば、手で触って)確かめることなどできないにもかかわらず、正常な人間ならば、彼らが実在することを少しも疑わないのだ。一方、そういった有名人と直接知り合いだということを自慢できる者は、もはや知り合いの有名人の姿に富や、女らしさや、権力や、美などの驚異的な理想を認めることはないだろう。なぜならば、有名人と個人的に付き合うようになれば、日常茶飯事のせいで、有名人にも全く平凡で、普通の人間的欠陥があることが分かってしまうからである。近くで見ればそういった有名人も、結局のところ、神々しい存在でもなければ、並外れた存在でもないのだ。したがって、本当にこの上なく完璧で、それゆえ、限りない憧れや欲望や期待の対象となることが可能なのは、全く手が届かないくらい遠くにいる存在だけである。彼らは群集より一段高いところにいるからこそ、群衆をひきつける魅力を持っている。彼らの誘惑的な後光を作り出しているのは、その身体や精神の特徴ではなく、超えることのできない社会的距離なのだ。
『スタニスワフ・レム「完全な真空」沼野充義・工藤幸雄・長谷見一雄訳』