いずれにせよ、我々個人がますます類似していくと言うことを一致して認めなければならない。類似は個人の独自性を阻害するのではなく、独自性を促進し、それを養うものである。個性の増大に反するのはただ一人の人物の模倣であり、全ての点についてその人物をモデルにすることである。しかし、誰か一人の人物を、あるいは数人の人物をモデルにする代わりに、各人がそれぞれ独自の視点で注目した百人とか千人、一万人もの人々から観念や行動の様々な要素を借用し、今度はそれらの要素を別な仕方で組み合わせるようになれば、それら複製された要素の性質と各要素の選択や組み合わせが、われわれ独自の人格を表現し、際立たせることになる。このことこそは、恐らく模倣の作用が行き着く果てにある最も明確な利益である。社会と言うこの耐え難い規律、この幻想的で横暴な威信は、個人の心のもっとも深い部分に極めて自由な衝動を少しずつ呼び覚まし、外部の自然や自分自身に対するきわめて大胆なまなざしを生み出す。さらに社会は、かつてのような目立ちたがり屋で露骨な精神の特性、すなわち野蛮な個性ではなく、特色にあふれると同時に洗練され、深みとニュアンスを備えた精神、すなわちきわめて純粋で力強い個人主義と高度な社交性をいたるところで開花させる。しかし、それが個人を解放することにあまり役に立たないと言うのであれば、我々はこの社会と言う永きに渡る集合的夢想―――というより、たいていの場合は集合的悪夢―――が、どれだけ血や涙を流すに値するものなのか疑問に思うことだろう。
一八九五年五月
『ガブリエル・タルド「模倣の法則」池田祥英・村澤真保呂 訳』