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読んだ本「芝生の復讐」

"わたしが彼に向かってゆっくり手を振ると、彼もゆっくりと手を振ってそれに答えた。私たちが手を振る動作は、私たちの腕を起点にするとても遠い旅のようで、それはさながら二人の人間がふたつの別々の町にいて、そこから手を振っているような感じだった。そう、タコマとセイレムの町でそれぞれ手を振っているみたいで、私たちの手の動きは何千マイルも隔たった場所で振られる手の動きのこだまにすぎなかったのだ。"

『リチャード・ブローティガン「芝生の復讐」藤本和子 訳』

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読んだ本「つぶて」

手向けの小石、それは賽銭の原形である。 神に詣で、投げてささげる賽銭が金銭故に、授かるはずの御利益の代償のように思われ勝ちだが、実際は金額にそんなに高下のないのをみればもっと別の意味があると思うべきだ。 賽銭はやはり手向けである。...

読んだ本「手長足長 土蜘蛛研究」

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