top of page

読んだ本「アフリカの創世神話」2

"ルアンダ人カガメが自国語の分析によって明らかにした思想によれば、存在するものは、力は必ず、次の四つのカテゴリーのいずれかに属する。(1)ムントゥ。知性を与えられた力というべきもので、神々や人間がこれに属する。(2)キントゥ。いわゆる《物》であり、動植物や鉱物がこれに属する。《眠れる力》あるいは《凍れる力》とでも言うべきもので、それ自体では活動を開始することができず、ムントゥの働きかけがあるときにのみ、目覚めた力として活動するのである。(3)クントゥ。いわゆる様式や観念の有する力であり、言葉やリズムはその代表的なものである。ムントゥのみがこの力を操作することができる。ムントゥはこの力を用いて凍れる力、キントゥに働きかける。(4)ハントゥ。時間と空間。これらも一種の力であり、事物を生起させ、配列する。これら四つのカテゴリーの名称に共通の語幹 Ntu はルアンダ語では力を意味する。 Ntu は、それ自体としては存在することができず、四つのカテゴリーのいずれかの様態をとることによってのみ存在するという。"

「阿部年晴『アフリカの創世神話』」

関連記事

すべて表示

読んだ本「言語・思考・現実」

ところで、われわれがある実際に存在するバラの茂みのことを思うとき、われわれはその思いが実際に存在する茂みのところまで行き、サーチライトで照らすようにそれにまといつくとは考えない。 それでは、われわれはバラの茂みのことを考えるとき、われわれの意識が交渉を持っている相手は何だと...

読んだ本「つぶて」

手向けの小石、それは賽銭の原形である。 神に詣で、投げてささげる賽銭が金銭故に、授かるはずの御利益の代償のように思われ勝ちだが、実際は金額にそんなに高下のないのをみればもっと別の意味があると思うべきだ。 賽銭はやはり手向けである。...

読んだ本「手長足長 土蜘蛛研究」

手長、足長については日本紀に面白い解釈がある。神武天皇が葛城の土蜘蛛を誅し給う条に、「土蜘蛛の人と為りや身短く手足長く、侏儒と相類す」とある。 土蜘蛛の民族的研究は、いずれ本誌上で詳論する予定であるが、結局は先住民族の或る者に対した貶称で、摂津風土記に説明してある如く、彼ら...

bottom of page