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少し幽霊


 この奇妙な器具は、私の父が手作りしたスリングショットである。

彼は子供の頃から機械工作が好きだった。

子供の頃は米軍が払い下げた無線機を修理し、朝鮮軍に横流しする会社でアルバイトをしていた、という話を聞いたのは割と最近のことだ。俗に言う朝鮮戦争特需だ。

あまり自分のことを話さない男だった。

職業は主に映像機器を作る会社の設計技師だった。

この会社は映像機器だけでなく、コピー機やマイナスイオン発生器なども作っていた。

彼はコピー機の機構についていくつか特許を取った。(それは会社に帰属するものだが)

マイナスイオン発生器の設計については「こんなもん効くわけないのになあ」と思いながら作っていた、とニヤニヤしながら話してくれた。これは私が子供の頃だ。

定年後は暇を持て余し、庭で色々なものを修理したり作ったりしていた。ラジオや自転車、トイレに設置するための棚、レコードプレイヤー、そしてこのスリングショット。

彼はこれで、庭先に時々やってくる野良猫やカラスを撃退することを楽しみにしていた。

前下部のギザギザの部分で威力を調整でき、フルパワーで小石を射出すれば、猫くらいなら殺せるだろうとうそぶいていた。

もちろん実際にはやらないが、そういう意地悪な冗談をよくいう男だった。

数年前、もう使わないから、と言ってこのスリングショットを譲り受けた。

 大の猫嫌いだった父も今は八〇代後半になり、いわゆる認知症の気が出てきた。

以前は年に一度位は顔を見せに実家へ行ったものだが、同居する兄によると、私が顔を見せに行き、帰ると、その数時間後には私が来たことを忘れているそうだ。

少ししてもう一度会いに行くと、確かに「久しぶりだなあ」という。

私が「ついこないだも来たよ」というと、困った顔をして「そうなの?最近覚えてられないんだ。昔のことは憶えてるんだけど。」という。

何度来ても「久しぶりだなあ」といわれ、その前のやり取りはなかったことになる。

なんだか妙な気持ちになる。少しだけ幽霊になったような?

顔を見せに行っても覚えていないのなら、会いに行く意味があるだろうか?

彼の脳には記憶が残らない。

では私の脳内に彼の記憶を残したいから会いに行くのか。

私は、彼の記憶を残したいだろうか?

父に関する記憶なら、すでにまあまあたくさんあるだろう。新しいものが欲しいのか?

いや、そういうことではない。そういうことではないのだ。

 兄から近況を聞くと、近頃は一日中ひたすらに栗を剥いているそうだ。

想像するに、なんと寂しい画面だろうか。

外が明るい昼間の、薄暗い家の中で、父が栗を剥く。

兄が、そんなに栗を剥いてどうするのか、と尋ねると「近所の人に配るんだ」というんだとか。

父は私の知る限り、近所に栗をお裾分けしに行くような人間ではなかった。

勝手な想像だが、覚えていることを忘れていないか、確かめようとしているのではないだろうか?

それはおそらく原理的に不可能なのだが、しかし気持ちは分かる。

栗の剥き方は、憶えている。近所の人のことも、憶えている。

父は怒り以外の感情をあまり出さない男だった。

6年前に母が亡くなった時も泣いてはいなかったが、母の遺灰を小さな漆塗りの容器に入れ、一緒に小さな鈴を入れたんだと教えてくれた。

「こうやって振ると音が鳴るんだ、いいだろ」と言って聞かせてくれた。

彼は数年前に前立腺の手術をしたことも憶えていない。

あの鈴のことは憶えているだろうか?

次に父のことで連絡があるとしたら、病院に運ばれたとか、突然死んでしまったとかになりそうだ。

会えるのは今のうちだけだ。会いに行くべきだろう。

そう考えるもうだうだと、もう二年ほど父に会えていない。

また幽霊のような気分になるのが嫌なのか、衰えた父の姿を見るのが嫌なのか、その両方か。

きっとその内、私が来たことを忘れるだけでなく、私が誰なのか分からなくなるだろう。

今は飼い猫が彼の寂しさを紛らわせてくれている。




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