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読んだ本「石仏」

あなた方はこれまで、彼の純真な精神に蓄積されたいくつかの信念が真理であると懸命になって確定してきたのだから、つぎのように考えたとしてもまんざら的外れだとも言えまい。

つまり、あなた方の手によってまだ検証されていない、日本の農夫が持っている他の信念もまた真理であることが、いずれ西洋のあなた方の将来の研究によって証明されることになるであろう、と。

「たとえば、地震は大きな一匹の魚が引き起こしているとかいう信念はどうか?」

 あざ笑わないで欲しい! そんな事について私たち西洋人の考えも、ほんの二、三世代前には、似たり寄ったりで現実離れしたものであったのだ。

いいや、そんなことではない! 私が言っているのは昔からの教えのことである。

行為や思想はたんに人生に付随したものというばかりでなく、それを創造しているものでもあるということである。

仏典にはつぎのように書かれている。

「諸事意を以て先とし、意を主とし、意より成る」

小泉八雲著 林田清明訳『石仏』青空文庫 1895年

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