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読んだ本「人はなぜうたをうたうか」

十人ぐらいで歌っているように聞こえますが、三人なんです。

つまり、全然別々な歌を同時に歌っているんです。

どの歌も高い音と低い音しかないですから、ラーラーラ、ラーラーラ、ラーリーリー、リーラーラーと、そういう歌なので、よく似てはいますが、タイミングは合わないし、高さは違う。

ただとても一所懸命歌うんですね。

相手の顔をときどき見たりして、向こうが一所懸命歌っているから、私も一所懸命歌わなきゃ。

こっちの人も見ながら、まだ向こうがやっているから、こちらも頑張らなくちゃというんで一所懸命歌っています。

これが一緒に歌うということの意味なんですね。

私は、「そうなんだよ、彼らは一緒に歌っているんだ、それでいいんだ」と思いましたね。

人間が一緒に歌うということは、拍子をそろえるとか、音程をそろえるということは全然必要ないんですね。

小泉文夫著『人はなぜうたをうたうか』冬樹社 1984年

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