手長、足長については日本紀に面白い解釈がある。神武天皇が葛城の土蜘蛛を誅し給う条に、「土蜘蛛の人と為りや身短く手足長く、侏儒と相類す」とある。
土蜘蛛の民族的研究は、いずれ本誌上で詳論する予定であるが、結局は先住民族の或る者に対した貶称で、摂津風土記に説明してある如く、彼ら穴中に居たからの名であろう。
これを日本語によって旧説の如く「土籠(つちごもり)」と解するか、中田法学博士のかつて史学雑誌で論ぜられた如く、アイヌ語のトンチカムイすなわち土窟中の住民を呼んだ名だとするか、いずれにしても穴住居の先住民を賤んで呼んだという風土記の説は動かぬ。
これを古書には往々「土雲」と仮字書きしてあるが、普通に「土蜘蛛」の文字を当てるので、虫の蜘蛛に連想して、身短かく手足長き人だとの説も起ったのである。
喜田貞吉著『手長足長 土蜘蛛研究』1919年
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