2023年1月12日読了時間: 1分読んだ本「つぶて」手向けの小石、それは賽銭の原形である。神に詣で、投げてささげる賽銭が金銭故に、授かるはずの御利益の代償のように思われ勝ちだが、実際は金額にそんなに高下のないのをみればもっと別の意味があると思うべきだ。賽銭はやはり手向けである。私たちが神と交流をもとうとするとき、その橋渡しに手向けの心と、物としての賽銭の用意を必要とする。そして、銭のなかった時代、人は石ころ一つをもって神の前に立ったのである。 中沢厚著『つぶて』法政大学出版局 1981年
手向けの小石、それは賽銭の原形である。神に詣で、投げてささげる賽銭が金銭故に、授かるはずの御利益の代償のように思われ勝ちだが、実際は金額にそんなに高下のないのをみればもっと別の意味があると思うべきだ。賽銭はやはり手向けである。私たちが神と交流をもとうとするとき、その橋渡しに手向けの心と、物としての賽銭の用意を必要とする。そして、銭のなかった時代、人は石ころ一つをもって神の前に立ったのである。 中沢厚著『つぶて』法政大学出版局 1981年
読んだ本「言語・思考・現実」ところで、われわれがある実際に存在するバラの茂みのことを思うとき、われわれはその思いが実際に存在する茂みのところまで行き、サーチライトで照らすようにそれにまといつくとは考えない。 それでは、われわれはバラの茂みのことを考えるとき、われわれの意識が交渉を持っている相手は何だと...
読んだ本「手長足長 土蜘蛛研究」手長、足長については日本紀に面白い解釈がある。神武天皇が葛城の土蜘蛛を誅し給う条に、「土蜘蛛の人と為りや身短く手足長く、侏儒と相類す」とある。 土蜘蛛の民族的研究は、いずれ本誌上で詳論する予定であるが、結局は先住民族の或る者に対した貶称で、摂津風土記に説明してある如く、彼ら...
読んだ本「人はなぜうたをうたうか」十人ぐらいで歌っているように聞こえますが、三人なんです。 つまり、全然別々な歌を同時に歌っているんです。 どの歌も高い音と低い音しかないですから、ラーラーラ、ラーラーラ、ラーリーリー、リーラーラーと、そういう歌なので、よく似てはいますが、タイミングは合わないし、高さは違う。...
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