ところで、われわれがある実際に存在するバラの茂みのことを思うとき、われわれはその思いが実際に存在する茂みのところまで行き、サーチライトで照らすようにそれにまといつくとは考えない。
それでは、われわれはバラの茂みのことを考えるとき、われわれの意識が交渉を持っている相手は何だと思っているのであろうか。
多分、バラの茂みではなくて、それの心的代用物であるところの「心的映像」と交渉を持っていると考えるだろう。
しかし、われわれの思考が本当のバラの茂みではなく、その代用物と交渉を持つと考えることがどうして自然だと思われなくてはならないのだろうか。
B・L・ウォーフ著『言語・思考・現実』弘文堂1978年
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