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「なめらかな社会とその敵」について(2013/02/09)

やっぱりいくら時代が下っても、人間はあんまり変わらず、政治的な立場を表明したり、ケンカしたり仲直りしたり殺し合ったりし続けるものなんだろうと思っていたんだけど。 「なめらかな社会とその敵」という本を読んでいる。 ここ5年位ぼんやり考えていながらも知能が足りず何も実行できなかったことがほとんど全部書いてある。 しかも具体的な方法について。 具体なき理想は寝言に過ぎないので、これはとても素晴らしいことです。 「オートポイエーシスが、つまり自己組織化する”生命”システムと、人間の、より大きな社会組織とが同じ様相を表すというのはルーマンが言ったような”アナロジー”ではなく”客観的事実”なのだ」というくだりには感銘を受けた。 これを安易とする見方もあるかもだが、私はこの言い切りに頼もしさを感じる。

還元主義的と批判されつつも「量子力学で意識を説明できる!」と思っているペンローズ博士と似た頼もしさである。

例え間違いがあったとしても、そういう言い切りと実践だけが様々な知見を少しずつ前に進めるのだ。 この本には、以前の「公開メモ」で書いたようにこのネットワーク社会において主に政治について”無駄に発達したリテラシー”によって”結局何も言えなくなる”ことをどのように肯定的に捉えるかのヒントがある。 ”結局何も言えなくなる”というのは単に誰かの消極的な態度を指すのではなく、ある事柄(大なり小なり)の人的責任を、その場にいる「責任のありそうな誰か」に負わせるということの限界に気づいてしまうという意味だ。 私は私であり、あなたとは違う、という動かしがたい「個人の限界」をゆるやかに超える世界は技術によって実現される。 といいつつ、いつまでも実現されないのかも知れないが、されないとしたら誰かが邪魔するからで、ここで変に陰謀論めいたことを言うとこの文章全体の前提が崩れるので、誰かとは私たちひとりひとりかも知れない、と言っておこうと思う。 しかし大昔から現在まで続く、「悪」をどこかに暫時的に作り上げて大勢で叩くという正義のあり方に全然全く同意できない以上、この何百年後に実現されるかわからない「技術による世界の刷新(『なめらかな社会とその敵』の言葉を借りれば”マイナーではなく近代のメジャーバージョンアップ”)」に期待し、自らをほんの少しずつ作り変えていくしか方法はない。 私たち自身の身体の見方は、人間が外部委託した進化(機械)のフィードバックによって変え”させられて”いるわけだから、これはその延長である。 時計が時空との係わりを変え、カメラが眼との係わりを変え、コンピュータが脳との係わりを変えたように、情報技術が人間同士の係わりを変える。 限られた視野と限られた脳みそで偏狭な”政治的立場”を表明する必要などなくなるのだ!(異論は認める)

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