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粘土をこねていたら指が切れてしまった。

「粘土をこねていたら指が切れてしまった」という文があったら、読んだ人は「粘土の中に折れたカッターの刃でも紛れ込んでいたのだろうか」と考えるだろうか。

粘土のような柔らかな物を触っていて突然に指が切れたら、例えば包丁を握っていて指を少し切ってしまう、などということよりショックが大きいかもしれない。

加えて、怪我の程度や粘土の大きさについては何も書かれていないから、こねられている粘土の大きさによっては、折れたカッターの刃で指をちょっと切る程度の生易しい切れ方では済まなかったかも知れない。

 ところで、子供の頃、友達と砂場で遊んでいたときのことだ。二人でなるたけ大きな砂山をつくり、互いに両方の側から穴を掘っていく。すると、山の真ん中で手と手が触れ合う。

「繋がった、繋がった」と喜び向こう側の子供と握手をする。

互いの手の質感を確かめている内、砂山の重みや、まとわりつく湿った砂粒によって感覚が乱されるのだろうか、いつしか、触っているのが自分の手なのか、相手の手なのか、よく分からなくなる。それが面白くもあり不気味でもあり、ゾクゾクとした、記憶がある。

しかし、それが記憶を掘り起こした今、新しくそう感じているのか、本当にその時そう感じたことなのか、よく分からない。

 誰でも、新しい服に袖を通すのが好きだ。光に包まれたような、白く真新しいシャツに内側から手を挿し入れる。指に触れる布地の質感、下腕から上腕へ、指先から伝わる布擦れのわずかな音と振動、ギターの弦が擦れる音と似ている。それはそのまま背中を通り、ある時それが途切れる。

向こう側に手が、勢いよく飛び出した印だ。

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